浄法寺漆芸の殿堂 滴生舎

浄法寺の漆

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「御山御器」と呼ばれる、庶民の器があった。

天台寺本尊の「聖観音立像」。平安中期の作で、行基の作と伝えられている。丸ノミによる彫り跡が美しい一木彫。国の重要文化財に指定されている。
国の重要文化財に指定されている「天台寺観音厨子」。江戸時代の作。黒漆を基調として朱漆、金などで全体を装飾している。
昭和62年から平成17年まで天台寺住職をお勤めになった瀬戸内寂聴さんは、天台寺の復興に情熱を注がれた。就任後、京都から株分けされた紫陽花も、今では参道を埋め尽くし、参拝者を和ませている。浄法寺のまちづくりにも協力を惜しまなかった寂聴さんは、浄法寺漆を使用した漆器も愛用されている。

 森閑とした杉木立の下、濃い色の花を咲かせる紫陽花が迎えてくれる参道の石段。地元の人々が「御山」と呼び親しんでいるみちのくの霊山・八葉山天台寺は、浄法寺塗の発祥の地と言われています。
 寺伝によると、開山は奈良時代の神亀5年(728)。聖武天皇の命を受けた僧行基が、桂の木を彫った観音様を祀り、八つの峰と八つの谷を有するこの地に「八葉山」の山号を冠しました。
 「浄法寺塗」がいつ頃始まったかは定かではありませんが、天台寺には漆を使った寺宝がいくつか残されています。たとえば、聖武天皇の宸筆と伝わる「天台寺」の勅額、吉凶を占う筮竹を入れた筒、金泥で「補陀洛場」(「観音様の住む山」という意味)の文字が刻まれた扁額など。どれも艶やかで堅牢な黒漆が塗られています。
 天台寺の僧たちは、自ら作っていた什器をやがて参拝者らに供するようになり、漆器とともに塗りの技術も庶民に広がったのでしょう。それらの漆器は「御山御器」として、呼び名が今も残っています。地元で「御山御器」と言われるものは、飯椀・汁椀・皿の三ッ椀のこと。その神聖な名とはかけ離れ、ふだん使いの器のことを指しています。かつて天台寺の例大祭の日に、境内の露天で漆器が売られていたために「漆器=御山」として庶民の生活に浸透したからです。
 藩政時代になると、南部盛岡藩の統制下、この地方に漆掻奉行が置かれ、漆は他領へ持ち出すことを禁じられました。この時代を象徴するのが「箔椀」。金箔を施した雅やかな漆器で、藩主への献上品として作られたものです。
 明治になると箔椀は廃れますが、「御山御器」をはじめとする庶民の漆器は、大正・昭和にかけて需要が高まり、国内はもとより海外にも販路が広がりました。
 戦後、生活の変化により、浄法寺の漆器が途絶えそうになったこともありました。しかし、それを乗り越えた今、「原料から製品まで」生み出せる地域は、浄法寺の他にありません。


「御山御器」と「御山膳」
一汁一菜の質素な暮らしぶりをほうふつとさせる「御山御器」は、飯椀・汁碗・皿が入れ子になる。漆、木地材のブナ、朱色の顔料ベンガラはどれも身近な素材であった。

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